最高裁判所大法廷 昭和26年(あ)3188号 判決 1954年11月24日
主文
本件各上告を棄却する。
理由
被告人山岡貞作弁護人牧野芳夫、同関原勇、同竹沢哲夫、同石島泰、被告人方成甲弁護人牧野芳夫、同関原勇の各上告趣意(後記)第一点について。
原判決の判示するところは、条例は直接に憲法九四条によって認められた地方公共団体の立法形式であって、同条により法律の範囲内において効力を有するものと定められているほか、条例をもって規定し得る事項について憲法上特段の制限がなく、もっぱら法律の定めるところに委せられているのであるから、法律に準拠して条例が罰則を設けることは憲法上禁止された事項とは解されないという趣旨であって、所論のように、条例は法律の委任があれば刑罰権を無制限に附することができるとか、またはいかなる事項でも無制限に定めることができるというような趣旨を説示したものとは認められない。所論は判示に副わない主張を前提として原判決が憲法九四条の解釈を誤ったと主張するのであって採用することはできない。
同第二点第三点について。
行列行進又は公衆の集団示威運動(以下単にこれらの行動という)は、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民の自由とするところであるから、条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的な許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法の趣旨に反し許されないと解するを相当とする。しかしこれらの行動といえども公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめてこのような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を条例に設けても、これをもって直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限するものと解することはできない。けだしかかる条例の規定は、なんらこれらの行動を一般に制限するのでなく、前示の観点から単に特定の場所又は方法について制限する場合があることを認めるに過ぎないからである。さらにまた、これらの行動について公共の安全に対し明らかな差迫った危険を及ぼすことが予見されるときは、これを許可せず又は禁止することができる旨の規定を設けることも、これをもって直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限することにはならないと解すべきである。
そこで本件の新潟県条例(以下単に本件条例という)を考究してみるに、その一条に、これらの行動について公安委員会の許可を受けないで行ってはならないと定めているが、ここにいう「行列行進又は公衆の集団示威運動」は、その解釈として括弧内に「徒歩又は車両で道路公園その他公衆の自由に交通することができる場所を行進し又は占拠しようとするもの、以下同じ」と記載されているから、本件条例が許可を受けることを要求する行動とは、右の記載する特定の場所又は方法に関するものを指す趣旨であることが認められる。そしてさらにその一条二項六条及び七条によれば、これらの行動に近似し又は密接な関係があるため、同じ対象とされ易い事項を掲げてこれを除外し、又はこれらが抑制の対象とならないことを厳に注意する規定を置くとともに、その四条一項後段同二項四項を合せて考えれば、条例がその一条によって許可を受けることを要求する行動は、冒頭に述べた趣旨において特定の場所又は方法に関するものに限ることがうかがわれ、またこれらの行動といえども特段の事由のない限り許可することを原則とする趣旨であることが認められる。されば本件条例一条の立言(括弧内)はなお一般的な部分があり、特に四条一項の前段はきわめて抽象的な基準を掲げ、公安委員会の裁量の範囲がいちじるしく広く解されるおそれがあって、いずれも明らかな具体的な表示に改めることが望ましいけれども、条例の趣旨全体を綜合して考察すれば、本件条例は許可の語を用いてはいるが、これらの行動そのものを一般的に許可制によって抑制する趣旨ではなく、上述のように別の観点から特定の場所又は方法についてのみ制限する場合があることを定めたものに過ぎないと解するを相当とする。されば本件条例は、所論の憲法一二条同二一条同二八条同九八条その他論旨の挙げる憲法のいずれの条項にも違反するものではなく、従って原判決にも所論のような違法はなく論旨は理由がない。(なお本件条例四条一項は、文理としては許可することを原則とする立言をとりながら、その要件としてきわめて一般的抽象的に「公安を害する虞がないと認める場合は」と定めているから、逆に「公安を害するおそれがあると認める場合は」許可されないという反対の制約があることとなり、かかる条項を唯一の基準として許否を決定するものとすれば、公安委員会の裁量によって、これらの行動が不当な制限を受けるおそれがないとはいえない。従ってかかる一般的抽象的な基準を唯一の根拠とすれば、本件条例は憲法の趣旨に適合するものでないといわなければならない。しかしながらこれらの行動に対する規制は、右摘示部分のみを唯一の基準とするのでなく、条例の各条項及び附属法規全体を有機的な一体として考察し、その解釈適用により行われるものであることはいうまでもないから、上記説明のとおり結論としてはこれを違憲と解することはできないのである。)
同第四点について。
所論は、原審で主張なくまたその判断を経ていないばかりでなく、単に原判決の法令違反を主張するに過ぎないから、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。(なお裁判所が裁判をするに当り適用すべき法令については、職権をもって調査する責務があり、条例もこのうちに含まれることは所論のとおりであるが、これらの法令は原則として証拠調の対象となるものでないから、特に必要ある場合のほか、これを審理し又はこれに対する判断を判示することを要するものではない。従って原審が本件条例を適用するに当り、所論の点につき明示しなかったからといって、原審の手続に違法があるとはいえない。なお本件条例は昭和二四年三月二五日公布同日施行されたことは明らかである。)
同第五点について。
所論は、原審で主張なくまたその判断を経ていないばかりでなく、単に原判決の法令違反と量刑不当を主張するのであるから、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。(なお地方公共団体の制定する条例は、憲法が特に民主主義政治組織の欠くべからざる構成として保障する地方自治の本旨に基き〔憲法九二条〕、直接憲法九四条により法律の範囲内において制定する権能を認められた自治立法にほかならない。従って条例を制定する権能もその効力も、法律の認める範囲を越えることを得ないとともに、法律の範囲内に在るかぎり原則としてその効力は当然属地的に生ずるものと解すべきである。それゆえ本件条例は、新潟県の地域内においては、この地域に来れる何人に対してもその効力を及ぼすものといわなければならない。なお条例のこの効力は、法令又は条例に別段の定めある場合、若しくは条例の性質上住民のみを対象とすること明らかな場合はこの限りでないと解すべきところ、本件条例についてはかかる趣旨は認められない。従って本件被告人が長野県の在住者であったとしても、新潟県の地域内において右条例五条の罰則に当る行為があった以上その罪責を免れるものではない。されば原判決には法令違反も認められない)。
被告人方成甲の上告趣意(後記)について。
所論は、量刑不当の主張であって刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
よって刑訴四〇八条に従い主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官藤田八郎の各弁護人の上告趣意第二点及び第三点に関する少数意見を除く外裁判官全員一致の意見である。
裁判官藤田八郎の少数意見(被告人山岡貞作弁護人牧野芳夫、関原勇、竹沢哲夫、石島泰、被告人方成甲弁護人牧野芳夫、関原勇の各上告趣意第二点第三点に関する)は次のとおりである。
行列行進又は公衆の集団示威運動は公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民の自由とするところであるから、条例において、これらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的な許可制を定めて、これを事前に抑制することは、憲法の趣旨に反し許されないと解すべきことは多数説の説くとおりである。又、本件条例四条一項は、その要件として、きわめて一般的抽象的に公安委員会は「公安を害する虞がないと認める場合は」許可を与えなければならないと定めているのであって、かかる条項を唯一の基準として許否を決定するものとすれば、公安委員会の裁量によって、行列行進等の集団運動が不当な制限を受けるおそれがないとは云えないから、かかる一般的抽象的な基準を唯一の根拠とするものとすれば、本件条例は、憲法の趣旨に適合するものでないとみとめなければならないこともまた、多数説の説くところである。
多数説が右のごとき大前提を是認しながら、なお、かつ、本件条例をもって違憲にあらずとする所以のものは、右条例は如上集団行動を一般的に許可制によって抑制する趣旨ではなく「特定の場所又は方法についてのみ制限する場合があること」を定めたものに過ぎないからであるというに帰する。そうして、その「特定の場所、方法」というは本件条例一条中括弧内に「徒歩又は車両で道路公園その他公衆の自由に交通することができる場所を行進し、又は占拠しようとするもの」とあることを指すものであることは明瞭である。
しかしながら、およそ問題となるべき行列行進又は公衆の集団示威運動のほとんどすべては徒歩又は車両で道路公園その他公衆の自由に交通することができる場所を行進し、又は占拠しようとするものであって、それ以外の場所方法による集団行動は、ほとんど、ここで問題とするに足りないと云っても過言ではあるまい。右条例掲示のような場所方法による集団行動のすべてを許可制にかかるとすることは、とりもなおさず、この種行動に対する一般的、抽象的な抑制に外ならないのであって、これをもし、場所と方法とを特定してする局限的の抑制とするがごときは、ことさらに、顧みて他をいうのそしりを免れないのであろう。
多数説は、その他に一条二項、六条及び七条に、これらの行動に近似し、又は密接な関係があるため、同じ対象とされ易い事項を掲げてこれを除外していることをあげて、これをも本件条例の一般的抑制でない一つの証左としているけれども、一条二項に掲げるところは、(学生、生徒、児童のみが参加し、かつ教科課程に定められた教育の為め、学校の責任者の指導によって行う行列行進は許可を要しない」と規定しているに過ぎず、この種の行動のみを除外したからといって、一般的抑制でないとするに足らないことはいうまでもないのみならず、むしろ、かかる教課的のもの以外の集団行動はすべて許可を要することを明らかにした点において、この規定の反射的効果は強大である。又六条、七条の規定はこの条例の趣旨に関する立法者自身の独断的解釈を宣示するに止まり、--たとえば、この条例をもって、公の集会等の監督、検閲の権限を公務員に与えるものと解釈してはならない、選挙演説に許可を要するものと解釈してはならない等--多数説のいわゆる「特定の場所、特定の方法」に何物をも加えるものでないことは、その条項の文辞自体からみて極めて明らかである。
以上綜合すれば本条例は、一条二項に掲げられた修学旅行的のもの以外の道路公園等で行われる行列行進又は公衆の集団示威運動はすべて、必ず事前に公安委員会の許可を受けなければならない、これを受けないで行うときは一年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処せられるとするものである。そうして、四条には「公安委員会は公安を害する虞がないと認める場合は……許可を与えなければならない」と規定されてあって、これは多数説のいうごとく、「公安委員会が公安を害するおそれがあると認める場合は、許可されないという反対の制約があること」を意味するのであって、かかる行動の公安を害するおそれあるや否やの判定は公安委員会の極めて広範な--特に何らの基準の定めもない--自由裁量に委ねられているのである。
いうまでもなく、この種集団行動は憲法の保障する言論集会の自由に直結するものであって、これを一般的に禁止し、その許否を一公安委員会の広範な自由裁量にかからしめるというごときことは、憲法の趣旨に合するものでないことは多数説の説くとおりであってしかも多数説が本条例をもって一般的禁止にあたらないとする論拠の一も首肯するに足るものがないことは如上説示のとおりである。
自分は、多数説が一般的禁止にあらずとするところを是認することができないが故に、多数説の大前提とするところに同調して本条例を以て違憲であると断ぜざるを得ないのである。
裁判官井上登同岩松三郎の補足意見は次のとおりである。
憲法は各人の自由を保証して居るけれども、それは無制限のものではない。或人の自由な行動によって他の人の自由な行動が妨害される場合があり得ることは勿論であり、かかる場合双方の自由行動に放任すれば闘争を生じ、ひいては公の秩序を乱す虞があるこという迄もない。それ故かかる場合は法令によって適当の制限を加えることは公の秩序維持の為め必要であり、違憲でないものとして許されなければならない。本件条例の規定する様な行列行進又は公衆の集団示威運動は一般人の交通その他の自由な行動に多大の影響を及ぼす虞の多いものであるから、秩序保持(公共の福祉)の必要上条例その他を以て或程度の取締をすることは違憲でないといわなければならない。その取締をする為めには予め如何なる場所において如何なる方法を以て為されるかを知る必要があるからその場所、方法等を記載した届出を為さしめることも必要であり又その場所方法が公の福祉を害する様なものであればこれを禁じ或は適当に制限することも必要であり許されなければならない。しかりとせば右の届出が実施せられる為め、届出なしに行動することを禁じ、これを犯した者を罰すること(固より法律の許す範囲内において)も許されるものと見て差支ないであろう。本件条例は届出制でなく許可制だからいけないという者がある。しかし本件条例は許可という語を用いて居るけれども、特に許可しない場合を規定し、それに該当しない限り許可しなければならないことになって居り(第四条第一項)また特に許さない旨の意思表示をしない限り許可されたと同様になるのである(第四条第四項)。されば語は許可といって居るけれども実質は届出制において正当な事由ある場合に禁止をするのと少しも変らないのである。それ故届出制ならばいいけれども本件の条例はいけないというが如きは全く「許可」という字句だけに捕われたもので意味がない。尤も同条例第四条一項の反面解釈として公安委員会は公安を害する虞があると認める場合には許可を与えないことができると解し得るので、同委員会がかかる公安危害の虞あることの認定をあやまって許可すべき申請を許容しなかった場合には同条例第一条それ自体並びに右の如き不許可処分について違憲の問題を生ずる余地がないではない。しかし、本件は、許可の申請をもしないで原判示の行動をした事案であるから、所論第一条が違憲なると否とに拘わりなく被告人を所罰した原判決に違憲があるとはいい得ない。蓋し同条例が前説示の如き意味の許可申請を要求し、これに違反した者を所罰することとしたからとて唯それだけで違憲となるものではないからである。本判決本文が右第一条が違憲でない旨の判断をしたのは念の為めにしたのであってこのことは下級裁判所に繋属して居る多数の同種条例違反事件に対する一つの指針となり得るものであるから此意味において無用のことを書いたものとはいえないのであるが、本件だけの判断をするには不用のものである。それ故右第一条が合憲なりや否やに関係なく本判決主文は維持されて然るべきものである。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎)